なんだかなぁ~

世の中の営みの土台は一人ひとり人間だ・・・金持ちも貧乏人も、権力のあるなしにかかわらず、一人ひとりのそれぞれの力が合わさって世の中を作り上げている。不平等だとか、不公平だとか、親ガチャだとかそれら全てひっくるめての人々で成り立っているのだ。人一人がここに存在していると言うことは、生理学上、男と女がいて子孫を残す行為の末の結末だ。一般で言う常識では“家族”なのだろう。ばぁばより少し前の時代は、結婚式して寝室で向き合うまで相手の顔も知らなかった・・・等という話も聞いた。恋愛結婚なんてもってのほかだ!と豪語する親父たちもいた。いつからだ?恋愛も性行為も”たが”がなくなったのは・・・知らないうちに大っぴらになっていて、面食らったことがあった。世の中はそれだけ許容範囲が広くなってきているのに、いわゆる今までの常識から外れると、抵抗感が大幅に増大する。異性間ならオッケイだが、同性同士は・・・と・・・異性同士なら“家族”だが、同性同士は・・・と・・・・・・一般常識の“家族”も、一人ひとりの人間の集まりでしょ。“血の道”とよく言うが、少しでもすれ違いが出来るとその道も邪悪化する・・・“血の道”だからこそ、底の底まで落ちていく・・・

人々の”家族”という小さな集団が、いくつもいくつも集まって、世の中を作り上げているのだとすれば、その“家族”が、人と人とのつながりで出来ていて、助け合って、支え合って、信頼し合っての集団であるならば、中身も、形も、それぞれの“家族”という集団で良いのでは無いだろうか。夫婦別姓も、同性婚も形は違えど、真のつながり合う集団ならば、それでいいのでは無いだろうかと思うわけで。いわゆる一般の“家族”の中には、真のつながり合う集団ならば良いのだが、そうでない集団だってあるわけで・・・

いろいろな選択肢があって良いと思う。これって、決めるのでは無く、固定化するのでは無く、人一人ひとりが自分らしく、与えられた人生を全うできるようになれば、それでいいと思う。

少子化問題年金問題に絡まれて、不安要素となっているのだが、そもそも、年金の財源が働いている人々のお金でまかなっていること自体無理があるわけで、この制度を導入したときに、そこのところの懸念は感じなかったのだろうか・・・僅かではあるが、年金で暮らしているばぁばにとっては、不安要素しかないが、国民に負担を掛けないような見直しが必要では無いだろうか。だって、ばぁばが若い頃は、自分たちが貰うための年金を積み立てていると思っていた。勉強不足だった面は多々あり、反省しきりではあるが、国の良いなりに払い、いざ頂くときは、減らされている・・・これって“詐欺”と同じなんでは無かろうか・・・と思ってしまうわけで・・・

国の予算編成を見るにつけ、溜息が出てしまうよね・・・沢山の予算を献上し、足りない分は借金で・・・借金が膨れて膨れて・・・自分たちの将来に希望が持てない若者が多いと聞くが、若者たちが今の現状をどれだけ分かっているのかいないのかわからないが、ばぁばは溜息しか出ないですょ・・・  予算もね・・・武器では国を守れない・・・国防にはならない・・・そこにお金を掛けるより、人を育てるところにお金を掛け、対話上手な、人間力のある人を増やすようにしないと・・・平和を人々は望んでいるはずだ! 戦うことは望んでいないはずだ! 地球を大事にし、人間同士尊重し合い、穏やかに、幸せに暮らす世界になるよう、切に切に願うばぁばです・・・・

 

 

老いぼれ”ばぁば”の独断と偏見の”たわごと”でした。