五色の輪

人流が動けば感染は拡大する。人が密になり接触し、お祭り騒ぎをすれば拡大する。   新型コロナウイルスが元気よく動き出して、世界を不安と恐怖に落とし入れてから1年と半年以上、未知なウイルス・・・手探りで対応を余儀なくされてきた相手であるが、それだけははっきりしている事だ。それが分かっていて(・・・分かっているよねぇ・・・こんな”ばぁば”でも分かっているょ・・・)、五輪を強行するのか・・・。IOCの会長は“それなりの犠牲”と仰った。“犠牲”か・・・多分その”犠牲”は、開催すれば日本ばかりではなく、世界各国に及ぶだろうな・・・と危惧される。それでも開催するというその強い態度はどこから来るのだろう・・・。ただ、自分たちの私利私欲・利益のためだったら、開いた口が塞がらない・・・。日本だったら、“安心・安全”な五輪を開催してくれるだろう・・・と言う言葉はどこから来るのか・・・どんな根拠を持って仰るのか・・・甚だ疑問である。本当に“安心・安全”なオリンピックが開催されるなら何も言わないが、“安心・安全”という言葉が心に響いてこない今の現状を鑑みると、空を切るようなこの状態にどう対処すればいいのか・・・”なんだかなぁ~”・・・なんですょ。それに、どのくらいの国が参加できるのか・・・五色の輪は、五大陸を表していると聞いた。その五大陸全ての国から参加できる状態なのであろうか・・・。

本来ばぁばはオリンピック大好き人間。4年に一度のスポーツの祭典。ただの祭典ではない。世界大会だとか、大きい規模のスポーツ大会は数々あれど、オリンピックはスポーツをやる方にとって、また、スポーツをたしなわないばぁばのような人間にとっても、特別な大会なのだ。昔の人間だからだろうか、憧れがあるのだ。前回の東京大会の興奮・感動・憧れ・・・札幌・長野の冬季大会・・・各回の他国で行われたオリンピックでの日本選手の活躍、他国の選手の活躍・・・それぞれにその選手の歴史があり、その都度刺激や勇気・励ましをを貰ってきた。オリンピックに向けて目標を定め、選手一人ひとりが紡いできた、歩いてきた、努力を重ねてきたストーリーを垣間見られる場所。結果がどうであれ、その過程は心の響くものがある。その響きを糧に自分も頑張ろう、と思えるのだ。それが長続きするかしないかは別として・・・それでも“感動”は心の中に生き続ける。今、そんな感動を与えてくれる選手にも、不安と迷いが交差する。そんな思いをさせていいのだろうか・・・。こうだから、大丈夫!と言うメッセージが聞かれないこの祭典に、どうも心から応援することができない・・・。かといって、どう結論を出せばいいのか聞かれると、これまた困ってしまうのだけれど・・・。

開催するのなら意を決して、無観客にすることがいいのかな・・・と思われます。やるなら利益は諦めましょう。観客の応援や歓声がないことで選手は士気が下がるでしょうが、そこのところは競技に専念して、今までやってきた事の集大成をここで試すことに集中して、自分を信じてやってほしい。リモートとかさ、応援している人々の歓声を生で流すとかさ、いろいろやり方を工夫して、盛り上げることも一策かも。まずは、人流を抑えることですよね。そして、都内限定の学校の生徒を迎え入れる案があるとのことですが、その計画怖いですよね。変異株が子どもも感染する確率が高いとのこと。そこで提案です。65歳以上の高齢者は、ワクチン接種が政府の強引な政策に各都道府県は振り回され、7月中には済むそうですので、見に行くことができる高齢者の方々を招待するって言うのはどうでしょうか。過去3回、日本で夏・冬合わせてオリンピックが開催されたのに一生に一度もオリンピックを見ることができない方々もおられるのですから、最後に冥土の土産に・・・どうですかねぇ。ばぁばは嬉しいですょ。

いずれにせよ、誰もが納得できる言葉が欲しいですね。この五輪の事ばかりではなく、政治に関わる方々の行動について、疑問がや疑惑が置き去りにされたまま日々だけが過ぎていく。時が経てばいつか忘れてくれるだろうという思惑があるのか知らないが、人は忘れてくれないのだょ。どんな形でも掘り返されるだょ。それでもしたたかに、ふてぶてしく人の上に立って生きていくんだ。上流階級国民ってなに? 下級階級国民のばぁばには、よく分からんよ。勝ち組と負け組? どっちが偉いとかそう言うこと? 下級階級国民は黙って従えって事? でも、あんたらは、その下級階級国民の一票で上級階級国民になっているんではないですかねぇ・・・。下級階級国民の妬みですか?・・・かな・・・だね・・・。疲れたな・・・

 

おいぼれ”ばぁば”の独断と偏見の”たわごと”でした。